チンドン屋の楽隊として昭和ロマンを楽しむ会はパレードしたりイベントの呼び込みを行うこともある。もちろん旗持ち、ビラ配りもする。
曲は美しき天然のほか、にぎやかな蒲田行進曲、東京ラプソディ、お富さん、銀座カンカン娘などを演奏する。メロディはバイオリンでリズムはチンドンとウクレレである。クラリネットやサックスと合奏することもある。
大蒲田祭 2013
昭和ロマンを楽しむ会 書生節 バイオリン演歌 大正演歌 昭和演歌師 平成演歌師 昭和歌謡 チンドン ちんどん ウクレレ
2013年8月24日土曜日
2013年8月9日金曜日
縁日ののぞきからくりや演歌師 湯川秀樹自伝(子供時代)より
湯川秀樹(明治40年生まれ)
湯川秀樹が子ども時代にどんな遊びを楽しんだか書かれている。その中にのぞきからくりや演歌師(艶歌師)も出てくる。
湯川秀樹『旅人・湯川秀樹自伝』(角川文庫、昭35)より
兄がよくかぶと虫を採って来てくれた。先がふたまたに分かれた一本の角を持っているかぶと虫を、私たちは「カブト」と呼んだ。かまのような二本の角を持つくわがたを「源氏」と呼んだ。何もないのは「坊主」である。兄が捕らえてきた虫を、私は木箱に入れて砂糖水で飼った。時々、箱から出して相撲をとらせたり、紙で作ってきた車をひかせたりした。木箱のふたには小さな穴をいくつもあけて、風通しをよくした。夜の間に逃げ出さないように、箱の上に石を置いた。(中略)
出町から今出川の通りにかけて、月に二回、十四日と二十二日に縁日が出た。露店に燃えるアセチレンのにおいは、今でもあざやかによみがえってくる。
家の二すじ南には、荒神様のお社があった。ここの縁日にも露店はたくさん出た。いや、露店だけではない。のぞきからくりは、不思議に子供の夢をさそった。料金は二銭だったと思う。口上の文句は忘れたが、小さな窓からのぞくと、極彩色の絵が見える。いまで言えば、紙芝居に当たるものであろうが、それよりずっと情趣があったように思えるのは、古い時代のものであるからかもしれない。説明者は、棒をたたいて拍子をとりながら、声色を使う。内容は子供の私にはよく分からず、興味もなかった。しかし、からくりの持つふんいきには、魅力があった。
からくりの隣りでは、艶歌師が流行歌をうたっていた。金魚屋も店を出した。ほうずき、べっこうあめ、うつしえ。夏ならば、とうもろこしを焼きながら売っている店もあった。露店といえば家庭の日用品や、安呉服なども売っていたはずだが、目に浮かぶのは、子供の私に魅力のある店屋ばかりである。べいごまを京都の子供たちはパイと呼んでいた。みかん箱やバケツの上に小さなござをくぼませて、そこへ叩きつけるように径二センチぼどの鉄のこまをまわすのである。こまは時々ふれあったて火花を散らした。一方はござの外まではねとばされることもある。
「メンコ」という遊びもあった。丸い厚紙には、たいてい、軍人や役者の似顔絵がはりつけられていた。地面に置かれた一枚に向かって、一人の子が自分のメンコを力いっぱいたたきつける。相手のメンコを裏返しにすれば、勝負はつくのである。
「カナメン」というのもあった。小さな鉛の薄板である。飛行機や、飛行船などの形をしていた。地面に置かれたカナメンの真上から、静かに自分の一枚を落とすのである。うまくあたると、置かれていたカナメンはひるがえって裏を見せる。私は何十枚というカナメンを、重そうに兵児帯の中に巻き込んである男の子を見て、その子の「自由」がうらやましかった。
兄がよくかぶと虫を採って来てくれた。先がふたまたに分かれた一本の角を持っているかぶと虫を、私たちは「カブト」と呼んだ。かまのような二本の角を持つくわがたを「源氏」と呼んだ。何もないのは「坊主」である。兄が捕らえてきた虫を、私は木箱に入れて砂糖水で飼った。時々、箱から出して相撲をとらせたり、紙で作ってきた車をひかせたりした。木箱のふたには小さな穴をいくつもあけて、風通しをよくした。夜の間に逃げ出さないように、箱の上に石を置いた。(中略)
出町から今出川の通りにかけて、月に二回、十四日と二十二日に縁日が出た。露店に燃えるアセチレンのにおいは、今でもあざやかによみがえってくる。
家の二すじ南には、荒神様のお社があった。ここの縁日にも露店はたくさん出た。いや、露店だけではない。のぞきからくりは、不思議に子供の夢をさそった。料金は二銭だったと思う。口上の文句は忘れたが、小さな窓からのぞくと、極彩色の絵が見える。いまで言えば、紙芝居に当たるものであろうが、それよりずっと情趣があったように思えるのは、古い時代のものであるからかもしれない。説明者は、棒をたたいて拍子をとりながら、声色を使う。内容は子供の私にはよく分からず、興味もなかった。しかし、からくりの持つふんいきには、魅力があった。
からくりの隣りでは、艶歌師が流行歌をうたっていた。金魚屋も店を出した。ほうずき、べっこうあめ、うつしえ。夏ならば、とうもろこしを焼きながら売っている店もあった。露店といえば家庭の日用品や、安呉服なども売っていたはずだが、目に浮かぶのは、子供の私に魅力のある店屋ばかりである。べいごまを京都の子供たちはパイと呼んでいた。みかん箱やバケツの上に小さなござをくぼませて、そこへ叩きつけるように径二センチぼどの鉄のこまをまわすのである。こまは時々ふれあったて火花を散らした。一方はござの外まではねとばされることもある。
「メンコ」という遊びもあった。丸い厚紙には、たいてい、軍人や役者の似顔絵がはりつけられていた。地面に置かれた一枚に向かって、一人の子が自分のメンコを力いっぱいたたきつける。相手のメンコを裏返しにすれば、勝負はつくのである。
「カナメン」というのもあった。小さな鉛の薄板である。飛行機や、飛行船などの形をしていた。地面に置かれたカナメンの真上から、静かに自分の一枚を落とすのである。うまくあたると、置かれていたカナメンはひるがえって裏を見せる。私は何十枚というカナメンを、重そうに兵児帯の中に巻き込んである男の子を見て、その子の「自由」がうらやましかった。
2013年7月18日木曜日
のぞきからくり 「ロス疑惑 疑惑の銃弾」 三浦和義物語
悲劇の夫かはたまた完全犯罪か
のぞきからくり 「ロス疑惑 疑惑の銃弾」 「三浦和義物語」 ロックバージョン(2000年版):昭和ロマンを楽しむ会
1981年に三浦和義の当時の妻(三浦一美)がカリフォルニア州ロサンゼルスで何者かに銃撃されて意識不明の重態となる事件が発生し、自らも足を撃たれて負傷した。当初マスコミは「悲劇の夫」として三浦を扱った。1982年11月に、妻が死亡したことで、この事件の報道は収束した。
しかし、1984年に『週刊文春』をはじめとするマスコミにより「保険金目当ての殺人」であるとの報道がなされた。
経緯
1981年8月31日、輸入雑貨商を営む三浦和義が妻(和美)とロサンゼルス旅行中、宿泊していたリトル東京のホテルの部屋で妻が一人になったとき、アジア系の女性によって頭部を鈍器で殴打され妻は軽症を負う(殴打事件)。
同年11月18日午前11時5分頃(現地時間)、三浦夫妻はロサンゼルス市内の駐車場で2人組の男に銃撃され、妻は頭を撃たれて意識不明の重体。夫の三浦も足を撃たれ負傷した(銃撃事件)。
1982年1月、三浦は「悲劇の夫」として日本のマスコミに登場した。妻は日本に移送され大学病院に入院したが意識が戻ることはなく11月に死亡した。三浦は、保険会社3社から計1億5500万円の保険金を受け取った。
日本での審理
東京地裁:無期懲役
東京高裁:証拠不十分で無罪
最高裁:2003年3月に無罪となり、銃撃事件の日本における三浦の無罪が確定した。
アメリカでの審理
2008年2月22日にアメリカの自治領であるサイパンにおいて三浦は、現地に出向いていたロサンゼルス市警の警官に殺人容疑で逮捕された。2008年10月10日にサイパンからロサンゼルス市警に身柄が移送された。しかし、同日にロサンゼルス市警内の留置所にて三浦が首を吊っているのが発見され、病院に搬送されたが死亡が確認された。
のぞきからくり ノゾキカラクリ 覗き絡繰 覗き機関 からくり節 昭和ロマンを楽しむ会
三浦和義物語 ロス疑惑、ロス事件、三浦事件、三浦和義事件、疑惑の銃弾事件 三浦一美 三浦和美 昭和未解決事件 犯罪 昭和犯罪史
のぞきからくり 不如帰(ホトトギス) 実演
昭和の初期まで縁日などで親しまれた大道芸「のぞきからくり」、のぞき穴をのぞくと押絵と凸レンズが作り出す立体的な世界が広がっている。「のぞきからくり」は、映画やテレビの普及によって完全に消えてしまい現在は博物館でしか見ることができない。
のぞきからくり「不如帰」(ホトトギス)実演:昭和ロマンを楽しむ会
「不如帰」は徳冨蘆花(とくとみろか)の不朽の名作で1898年(明治31)から1899年まで「国民新聞」に連載された。明治時代のベストセラー小説。
「人間はなぜ死ぬのでしょう 死んでも私はあなたの妻ですわ、未来の後までも」
「八千八声 ないて血を吐くほととぎす」
落語の「天王寺詣り」に天王寺の境内でやっているぞのきからくり「不如帰」の口上が入っている。同じ不如帰でも各地によってさまざまな文句とからくり節があった。
あらすじ:片岡陸軍中将の娘浪子(なみこ)は、海軍少尉川島武男(たけお)と結婚したが、結核にかかり、家系の断絶を恐れる姑によって武男の留守中に離縁される。二人の愛情はとだえなかったが、救われるすべのないまま、浪子は、もう女になんぞ生まれはしないと嘆いて死ぬ。
映画「長屋紳士録」(1947)で笠智衆が歌った「不如帰」(ほととぎす)の口上(からくり節)
三府の一の東京で(ああどっこい)/波に漂うますらおが/はかなき恋ににさまよいし/父は陸軍中将で/片岡子爵の長女にて(ああどっこい/桜の花の開きかけ/人もうらやむ器量よし/その名も片岡浪子嬢/(ああちょいと)海軍中尉男爵の/川島武男の妻となる/新婚旅行をいたされて/伊香保の山にワラビ狩り(ああどっこい)/遊びつかれてもろともに/我が家をさして帰らるる/(ああちょいと)武男は軍籍あるゆえに/やがて征くべき時は来ぬ/逗子をさしてぞ急がるる/浜辺の波のおだやかで(ああどっこい)/武男がボートに移るとき/浪子は白いハンカチを(ああどっこい)/打ち振りながら/「ねえ、あなた早く帰って頂戴」と/仰げば松にかかりたる/片割れ月の影さびし/実にまあ哀れな不如帰」
のぞきからくり 覗機関 ノゾキカラクリ 絡繰り 不如帰 ほととぎす ホトトギス 徳冨蘆花 新派 悲劇 片岡浪子 川島武男 日清戦争 結核 不治の病 姑 昭和ロマンを楽しむ会
のぞきからくり「不如帰」(ホトトギス)実演:昭和ロマンを楽しむ会
「人間はなぜ死ぬのでしょう 死んでも私はあなたの妻ですわ、未来の後までも」
「八千八声 ないて血を吐くほととぎす」
落語の「天王寺詣り」に天王寺の境内でやっているぞのきからくり「不如帰」の口上が入っている。同じ不如帰でも各地によってさまざまな文句とからくり節があった。
あらすじ:片岡陸軍中将の娘浪子(なみこ)は、海軍少尉川島武男(たけお)と結婚したが、結核にかかり、家系の断絶を恐れる姑によって武男の留守中に離縁される。二人の愛情はとだえなかったが、救われるすべのないまま、浪子は、もう女になんぞ生まれはしないと嘆いて死ぬ。
映画「長屋紳士録」(1947)で笠智衆が歌った「不如帰」(ほととぎす)の口上(からくり節)
三府の一の東京で(ああどっこい)/波に漂うますらおが/はかなき恋ににさまよいし/父は陸軍中将で/片岡子爵の長女にて(ああどっこい/桜の花の開きかけ/人もうらやむ器量よし/その名も片岡浪子嬢/(ああちょいと)海軍中尉男爵の/川島武男の妻となる/新婚旅行をいたされて/伊香保の山にワラビ狩り(ああどっこい)/遊びつかれてもろともに/我が家をさして帰らるる/(ああちょいと)武男は軍籍あるゆえに/やがて征くべき時は来ぬ/逗子をさしてぞ急がるる/浜辺の波のおだやかで(ああどっこい)/武男がボートに移るとき/浪子は白いハンカチを(ああどっこい)/打ち振りながら/「ねえ、あなた早く帰って頂戴」と/仰げば松にかかりたる/片割れ月の影さびし/実にまあ哀れな不如帰」
のぞきからくり 覗機関 ノゾキカラクリ 絡繰り 不如帰 ほととぎす ホトトギス 徳冨蘆花 新派 悲劇 片岡浪子 川島武男 日清戦争 結核 不治の病 姑 昭和ロマンを楽しむ会
2013年2月6日水曜日
映画に出てくる「のぞきからくり 不如帰」
映画に出てくる「のぞきからくり」の口上
のぞきからくり「不如帰」が出てくる映画を2本紹介する。
「時代屋の女房」、 「長屋紳士録」
松竹映画「時代屋の女房」 1983年
のぞきからくり(不如帰)が出てくる松竹映画「時代屋の女房」1983年 (第87回直木賞を受賞した村松友視の同名小説の映画化)
出演:渡瀬恒彦:安さん、夏目雅子:真弓、夏目雅子:美郷
この映画には、「覗きカラクリ」が頻繁に登場する。外題は「不如帰」
「覗きカラクリ」(のぞきからくり)
安さんと真弓は、古道具の買い付けで東北の田舎を行脚したことがあるようで、この時寂れた旅館「平野屋」で「覗きカラクリ」を見つけますが、その時は売ってもらえなかった。安さんはこの「覗きカラクリ」を時折思い浮かべ、「覗きカラクリ」の前で踊る真弓、「覗きカラクリ」の演目である「不如帰」のヒロイン浪子に真弓のイメージを重ねますが、BGMはいずれも春歌、猥歌。
安さん、マスター、鈴木健一、平野旅館の主人の4人が「覗きカラクリ」の前で春歌をがなりたてる。
「時代屋の女房」のなかで、盛岡の「のぞきからくり」のおじいさん(坂野比呂志)が歌っていたのは「のぞきからくり 不如帰(ホトトギス)」の春歌版であった。
「武男と浪子の替歌」(春歌版)
タケオがボートに移るとき ナミさん赤い腰巻を
おへその上まで捲(まく)り上げ これに未練はないかいな
ナミコがボートに移るとき タケオは紺のズボンをば
膝の下まで摺(ず)り下ろし これに未練はないかいな
歌:笠 智衆 監督 小津安二郎 (1947年 日本)
三府の一の東京で(ああどっこい)/波に漂うますらおが/
はかなき恋ににさまよいし/父は陸軍中将で/
片岡子爵の長女にて(ああどっこい/桜の花の開きかけ/
人もうらやむ器量よし/その名も片岡浪子嬢/(ああちょいと)
海軍中尉男爵の/川島武男の妻となる/
新婚旅行をいたされて/伊香保の山にワラビ狩り(ああどっこい)/
遊びつかれてもろともに/我が家をさして帰らるる/(ああちょいと)
武男は軍籍あるゆえに/やがて征くべき時は来ぬ/
逗子をさしてぞ急がるる/浜辺の波のおだやかで(ああどっこい)
/武男がボートに移るとき/浪子は白いハンカチを(ああどっこい)/
打ち振りながら/「ねえ、あなた早く帰って頂戴」と/
仰げば松にかかりたる/片割れ月の影さびし/実にまあ哀れな不如帰」
のぞきからくり ノゾキカラクリ 覗き絡繰 覗き機関 不如帰 ほととぎす ホトトギス 武男と浪子
博物館ののぞきからくり (装置 中ねた等)
『俊徳丸』 |
これは大正後期に作られたもので演目は俊徳丸である。
畳1枚分よりやや小さい絵(ナカネタ)が5~7枚ほど箱(ネタ箱)に納められている。ナカネタは一枚一枚ひもでつるされておりひもを下ろすことによって絵が変わる。 縁日や祭りの花形であった。 (広島県三原市 歴史民俗資料館) |
勧善懲悪 この世の誡め 『地獄極楽』(ミニチュア版) |
佐倉市の国立歴史民俗博物館と大阪市の大阪歴史博物館(愛称:なにわ歴博)にのぞきからくりミニチュアが置いてある。
そして黒田種一さんの声の『地獄極楽』テープが流れている。実演がないとなんだかおもちゃみたいで悲しくなってしまう。 黒田さんは大阪天王寺等で活躍していたが、1980年(S55)に引退した。 佐倉版は羽子板などにも見られる押し絵と呼ばれる布細工の立体絵で本物を忠実に再現している。テープの歌にあわせて絵が変わっていく。 大阪版は穴を覗くとTVモニターに全く地獄極楽とは関係ないビデオが映し出されてる。インチキ見世物。テープの歌も三途の川がカット、「血の池地獄となるなればー」まではあるが以後がカットされている。差別用語等の禁止の名のもとに実際にあった歴史事実をゆがめている大阪歴史博物館である。 (写真は国立歴史民俗博物館のミニチュア) |
忠臣蔵(ネタ絵のみ) |
この作品は、忠臣蔵を題材にしたもので、討ち入りの場面などが鮮やかな色彩で再現されている。顔の表情も布を膨らませて立体的にしているのが宮澤流の特徴で、目はガラス玉を半分に割ったものに彩色するなど迫力のある押し絵になっている。
宮澤由吉:明治期の押し絵の第一人者(姫路押し絵) (岐阜県瑞浪市博物館、ミュージアム中仙道所有) |
のぞきからくり 寺田寅彦少年の想い出(明治時代)
のぞきからくりはどこへ行った |
寺田寅彦少年の想い出(明治時代)
「十四五歳のころであったかと思う。 ----<中略>-----
当時は町の夜店に「のぞきからくり」がまだ幅をきかせていた時代である。小栗判官(おぐりはんかん)、頼光(らいこう)の大江山(おおえやま)鬼退治、阿波(あわ)の鳴戸(なると)、三荘太夫(さんしょうだゆう)の鋸引(のこぎりび)き、そういったようなものの陰惨にグロテスクな映画がおびえた空想の闇(やみ)に浮き上がり、しゃがれ声をふりしぼるからくり師の歌がカンテラのすすとともに乱れ合っていたころの話である。そうして東京みやげの「江戸絵」を染めたアニリン色素のなまなましい彩色がまだ柔らかい網膜を残忍にただらせていたころの事である。」
(昭和六年九月、雑味) 「寺田寅彦随筆集 第三巻」 青衣童女像 寺田寅彦(1878 - 1935)
江戸時代末期から昭和40年代まで営業していたのぞきからくりは大掛かりな装置が必要なためか日本ではもう興行的には消滅している。残念ながら、のぞきからくりを見ることができるのは博物館だけである。
<実物>
新潟県西蒲原郡巻町 郷土資料館:のぞきからくり「幽霊の継子いじめ」 (継母物) 広島県三原市 歴史民俗資料館:「俊徳丸」 (継母物) 佐賀県鹿島市 北園忠治氏(未公開):「不貞の末路」 鹿児島県奄美大島 原野農芸博物館:「地獄極楽」(黒田種一氏使用のもの) <ミニチュア版> 佐倉市の国立歴史民俗博物館:「地獄極楽」 大阪市の大阪歴史博物館:「地獄極楽」 「日本の放浪芸」DVD版:「幽霊の継子いじめ」と「不貞の末路」の実演収録 私はVTR版で「不貞の末路」を見たことがある。亭主殺しの奸婦が若い男と一緒に逃げるが、ついには巡査につかまり死刑になるという勧善懲悪物。現代での実演は内容的に難しい。 |
中国の「のぞきからくり」 杭州 上海
中国ではまだのぞきからくりが大人気! |
風光明媚な西湖をはじめ、名所・旧跡の多い中国南東部の浙江省の省都は杭州である。
明清時代の古い街並みの残る清河坊街でみかけた「のぞきからくり」、ここでも子供に人気があるようである。通りの真ん中では飴細工や笛売りなども売っている。 ぜひ中国ののぞきからくりを見てみたいものである。 (「Osakanews.com」産経新聞社より転載) |
上海ののぞきからくり
前ののぞきからくりが違う場所でも興行しているようです。
たった4個しか穴がなくて商売になるのでしょうか。(む雀喜丸上海二人旅より)
『 豫園 のぞきからくり 四元60円位(平成15年12月)』
人だかりの上からのぞきますと、チャイナ服にサングラス、どう見ても怪しげなおっさんが大声でなにやら述べています。子供の客がいくらか揃うと、オッサン、片手で紐を引き、もう一方でドラ太鼓を叩き、なにやら奇声を張り上げています。 |
のぞきからくり 伊達娘恋緋鹿子 八百屋お七
伊達娘恋緋鹿子 八百屋お七 |
そのころ本郷二丁目に 名高(なだか)き八百屋の久兵衛は 普請成就する間 親子三人もろともに
檀那寺(だんなでら)なる駒込の 吉祥院(きちじょういん)に仮住まい 寺の小姓の吉三さん 学問なされし後ろからー ひざでちょっくらついてー 目で知らせーーーーー わたしゃ本郷へ行くわいなー たとえ本郷と駒込とー 道のりいかほどへだつともー 本堂の横でしたことは 死んでもーー忘れてーーくださるなーーー かわいい吉三(さん)にあわりょかと 娘心の一筋に 一把(わ)のわらに火をつけてぽいと投げたが火事となる 誰知るーまいと思えども 恋のかなわぬ腹立ちで 釜屋の武兵衛(ぶへい)に訴人され まもなくお七は召し取られ 上野の白州(しらす)に引き出され 一段高いお奉行さん そちらは十四(じゅうし)であろうがなわたしゃ十五でひのえうま(丙午) 十四といえばたすかるにー 十五というた一言でー 百日百夜は牢住まい はだかの馬に乗せられて 伝馬町から引き出され 先には制札(せいさつ)紙のぼり 罪の次第を書き記しー- お七を見にでし見物はあー あれが八百屋の色娘えー 吉三ほれるはむりはない 田町、八つ山右に見て 品川表をこえるならあーー ここが天下の仕置きばでー 鈴が森にとー着きにけるう 二町四面が竹矢来(たけやらい) 中にたてたる鉄はしら 花のお七をしばりあげ 千ば万ばの柴茅(しばかや)を 山のごとくに積み上げて 下より一度に火をつける あついわいな 吉三さんー わっとないたる一声(ひとこえ)が 無情の煙と立ちのぼればーー 哀れやこの世の見おさめーー 見おさめーーー ありがとうございました おあとと交替 おあとと交替 (伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段) |
「八百屋お七」 屋台と中ネタ (新潟市巻郷土資料館所有)
「八百屋お七」の中ネタ(7枚)の一部を紹介する。
2枚目:お七と吉三郎との初めての出会い(吉祥寺の奥座敷)
3枚目:八百屋の店開き
4枚目:本郷に帰ったお七は吉三郎に会いたい一心で放火
5枚目:お裁き(15歳以下であれば減刑になるが、お七は16歳だと言い張る)
6枚目:江戸市中引き回し
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のぞきからくり関連 |
絵と語りの芸能 のぞきからくり | <絵と語りの芸能> のぞきからくりに関する写真や絵を用いた解説 リンクも充実 |
立版古・のぞきからくり |
ディスプレイ・デザインの歴史 立版古・のぞきからくり(乃村工藝社HP内) のぞきからくりの図、「江戸と東京風俗野史」
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巻町 のぞきからくり |
のぞきからくり「幽霊の継子いじめ」
新潟市巻郷土資料館 実物展示 |
のぞきからくりの歴史 |
のぞきからくりの歴史等
細馬宏通 |
「八百屋お七」実演レポート |
のぞきからくり 「八百屋お七」 実演 新潟市巻郷土資料館
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のぞきからくり ノゾキカラクリ 覗き機関
のぞきからくり 金色夜叉(貫一お宮の物語)
金色夜叉(貫一お宮の物語) |
鴫澤娘、宮さんと大学生の貫一と親の許せし許婚
ともに遊びし富山が宮さん見初めて恋をする 欲か迷いか両親の、勧めに従い宮さんは 富山名のる唯継と夫婦約束なさんため 今日しも母につれられて、熱海の浜や梅林で 出会うと知らない貫一に 熱海の海岸散歩する貫一お宮の二人連れ ともに歩むも今日限り、ともに語るも今日限り 夫に不足ができたのか、さもなきゃお金に迷いしか 恋に破れし貫一はすがる宮さんけとばして いづくともなく去っていく 宮の心の変わりしを恨みに思う貫一は ああ、学問も何もやめ、悪魔となりて金色の 夜叉となりしもあわれなり、それに引き換え宮さんは 富山家にとかしずきて はやひととせは夢と過ぎ、今宵は一月十七夜 来たらぬ年の今日今宵、僕の涙でこの月を きっと曇らせみせるぞと、恨みのためか今日今宵 空が曇りて雪となる、遂に宮さんの気が狂う |
のぞきからくり ノゾキカラクリ 覗き機関
のぞきからくり 勧善懲悪 この世の誡め 地獄と極楽
勧善懲悪 この世の誡め 地獄と極楽 |
寒くともたもとに入れよ西の風、弥陀(みだ)のかなたより吹くと思えば耐え難し
<人が死したら七日目に、落ち行く先は六道の辻> <三途の川> 娑婆から落ち来る亡者めが、左に行くなら地獄かや、右に行くなら極楽かと、迷い迷うておるならばーーーーー <閻魔の庁> 娑婆で犯せし悪事をば、つつめーども、隠せども、映せばーわかる浄玻璃の鏡 罪の重いか軽いかは、業(ごう)の秤にかけられて、地獄の迎いは火の車 <賽の河原> 死出の山路(やまじ)のすそ野なる、賽の河原は子供の地獄。 一つやー二つ、三つや四つ、十(とう)にも足らない幼子(おさなご)が、さいの川原に集まりて、あたりの小石を寄せ集め、一重積んでは母恋し、二重積んでは父恋し、三重四重と積む石は、親戚―兄弟我が身のためと回向する。 昼は川原で遊べども、日の入相となるなれば、邪険な鬼めが現れて、積んだる石をば打ち砕く。 幼子は、石につまずき血はにじみ、血潮に染めて、とと様、かか様と泣く声は、この世のー声とはこと変わり、哀れさ骨身を突き通すなり。 <地蔵菩薩> もったいなくも地蔵菩薩が現れたまい。泣くな嘆くな幼子よ、汝の父母(ちちはは)まだ娑婆なるぞ。娑婆と冥土(めいど)はほど遠い。冥土の父母われなるぞ。聞いて幼子喜んで、袖や衣に泣きすがる。 幼い子供をお救いたもう、賽の河原は子育てのお地蔵菩薩なり。
のぞきからくり ノゾキカラクリ 覗き機関 この世の戒め
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のぞきからくり 概要 「不如帰」
のぞきからくり
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紙芝居より古く、江戸時代からあった庶民の娯楽
のぞきからくり(覗絡操)は江戸時代の寛永年間に生まれ、社寺の祭礼・縁日に欠かせない風物誌となった。
広場に屋台を組み、覗き穴から中の絵を見せながら、興行師が独特の節回しで口上を語り、場面 に応じて絵が入れ替わる仕掛けになっている。 さあ、いらっしゃい! はい、のぞいて、のぞいて! 上の穴が大人用、下の穴は子供用。始まるんだよ、始まるんだよ。中は歌に合わせて変わります! 有名な外題
1.不如帰(ほととぎす)
2.勧善懲悪 この世の誡め 地獄極楽 3.金色夜叉 4.伊達娘恋の緋鹿子 八百屋お七 |
不如帰(ほととぎす) |
浪子の幸はどこにある
明治の文豪、徳富蘆花の不朽の名作[不如帰] 新派大悲劇、片岡子爵の長女、浪子と海軍少尉男爵川島武男との悲しい恋物語 結核に冒された浪子は実家に帰されてーー 三府の一の東京にーて 浪に漂う益荒男は はかない恋にさまよいて 父は陸軍中将にて 片岡子爵の長女にて 桜の花の咲いた様な 人もうらやむ器量よし その名ー片岡浪子嬢ー <中略> 一度帰りしその時は浪さん我が家の人ならず 二度目帰りしその時は浪さんこの世の人ならず ないて血を吐くほととぎす 『人間はなぜ死ぬのでしょう 死んでも私はあなたの妻ですわ、未来の後までも』 |
のぞきからくり関連 |
絵と語りの芸能 のぞきからくり | <絵と語りの芸能> のぞきからくりに関する写真や絵を用いた解説 リンクも充実 |
立版古・のぞきからくり |
ディスプレイ・デザインの歴史 立版古・のぞきからくり(乃村工藝社HP内) のぞきからくりの図、「江戸と東京風俗野史」
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巻町 のぞきからくり |
のぞきからくり「幽霊の継子いじめ」
新潟市巻郷土資料館 実物展示 |
のぞきからくりの歴史 |
のぞきからくりの歴史等
細馬宏通 |
「八百屋お七」実演レポート |
のぞきからくり 「八百屋お七」 実演 新潟市巻郷土資料館
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瑠璃之宮(るりのみや)物語 (のぞきからくり)
会うは別れの始まりという。
<天使かお嬢様か、はたまたきつねかたぬきか、鬼か蛇か> 第一部 (今も昔も変わらぬは清き乙女の真心か) |
花の東京、自由ヶ丘でー 人もうらやむ器量よし 乙女気取りの箱入り娘 うそで固めた人生は 裏と表の使いわーけ お見合いパーティー仕掛けては めぼしい男を罠にかーけ 夫(彼)と呼ぶ名に保険金 ひそかに微笑むお嬢さーま そのー名ーーー、 XXXX、 るり子嬢ーーーー (ヤレー) |
第二部 ( ひとの定めの行く末は、一寸先も闇の中 ) |
おしゃれでシックなOL姿 清純・高貴を売り物に
甘いデートの夢まくらーー その身にかかる保険金
知るや知らずや手に手を取って 降り立つ先はお台場のー
月は寂しくふたりを照らし 残るなぎさに彼は消え
帰らぬーー、ひととーー
なりにけーる (ヤレー)
By (Die for the Queen) 1998
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