2015年12月16日水曜日

のぞきからくり 「新田大明神」

のぞきからくり 「新田大明神」





「矢ノ口渡合戦にて義興戦死図」(歌川国芳画)
















新田神社の由来(「裏切り者を懲らしめた神様」)、新田義興(新田義貞の次男)をまつる。
「神霊矢口渡」、「矢守」

     のぞきからくり 「新田大明神」 製作・演者:大道芸研究会
https://www.youtube.com/watch?v=of42PCwnma4


「大田区の神社」による新田神社の由緒
正平13年(1358年)創祀。新田義興公は、正平13年10月10日畠山国清等の奸計により、矢口の渡に於て討たれ憤死した。このことがあってから、矢口の渡に夜々「光り物」が表はれ、往来の人を悩ましたので、村老等が墳墓を築き、社祠を興し、新田大明神として奉斎したのが始まりである。

東急多摩川線の武蔵新田駅の「新田」は、新田大明神を祭った新田神社に由来する。

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のぞきからくり「不貞の末路」 実演

のぞきからくり 外題は「不貞の末路」

今でいえばお昼のワイドショーか三流週刊誌のネタ。 鉄板ネタ

         のぞきからくり 「不貞の末路」
https://www.youtube.com/watch?v=GcwQz1WvgYk


1984年 佐賀県 演者:北園 忠治/北園 みつる 

亭主を殺して財産を処分して若い愛人と逃げた奸婦がついに捕まって裁判にかけられ「死刑」を言い渡されるてんまつ

この動画では京都の瀬戸物問屋だが広島の雑穀問屋などいろいろなバージョンがあるようである。

どちらにせよ金持ちの商家で美人で多情の妻が出入りの若い男に手を出してしまう。
そして、「添うに添えぬ仲なれば いっそのことと覚悟を決めて」夫殺しを計画する。うまくいけば晴れてかわいい男と添うことができるという夢

「不義密通、不倫」事件は大正・昭和だけでなく平成の世になってもテレビのワイドショーで取り上げれる人気の事件である。

ハアーーーー、 京都の片ほとり 伏見のーーー
内は瀬戸物問屋にて その名山田のゆうきちは
女房お浜とむつまじく 人もうらやむ暮らしぶり

出入りの豊吉はいきな男で年若く  迷いやすいは色の道
妻のお浜と豊吉は人目をしのんで不義をする。
一度はままよ、二度はまま たび重なるにしたがいて
ついに夫が嫌となり 隠し男の豊吉とお浜が悪事をたくらんで
夫のゆうきち 絞め殺す

誰知るまいとお浜は 五千円なる有り金や家蔵諸道具も売り払い
かわいい男の手をとりて 後は野となれ山となれ
九州地方にと身をかくす

お上の詮議が厳しいので あちらこちらとさまよいて
愛知県にゃ入りこんで ついに名古屋に足を止め

飲食店をいたさんと 名古屋の本署にゃ願い出る
さすがに警官抜け目なく 二人の挙動が怪しいと
京都七条の警察に 電話で照会いたされる

七条警察署よりは 大石巡査がそのときに 
応援巡査ともろともに お浜の宅に乗り込んで
なんなく二名を捕縛して 七条本署にゃ連れ帰る

刑法上にゃてらされて 重懲役を読み渡す
立会い検事の不服にて 大阪裁判に回される

豊吉、お浜の両名に「死刑」の宣告読み渡す

「哀れなる不貞の末路でした。これにて読みきりでございます。」

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2014年2月9日日曜日

のぞきからくり瑞浪市文化財に  「忠臣蔵」

のぞきからくり瑞浪市文化財に 箱の中の絵楽しむ娯楽道具
岐阜新聞  2014年01月29日

中央で観音開きとなる、のぞきからくりの看板絵。外側と内側では場面が異なる(相生座提供)

 
 
瑞浪市教育委員会は28日、江戸後期から昭和初期ごろまで縁日などで親しまれた見せ物の仕掛け屋台「のぞきからくり」の看板絵と内部の中ネタを、市有形民俗文化財に指定した、と発表した。全国的にも現存するのぞきからくりの史料は数少なく、今回屋台は無いものの東海地域で確認された初の事例という。
 のぞきからくりは、屋台に仕込まれた箱の穴をのぞき、内部の中ネタが切り替わるのを、口上を聞きながら見て楽しむ娯楽道具。
 今回指定されたのは、屋台上部を飾った看板絵4枚と、中ネタの絵6枚。忠臣蔵の物語の場面が描かれており、大きさはいずれもふすま大で、幅約90センチ、高さ約1.8メートル。
 兵庫県姫路市の工芸家で海外からも注目された故宮澤由雄氏が大正から昭和初期に制作。布の下に綿を入れて人物を立体的に浮かび上がらせる「押し絵」の技法で、躍動感あふれる名場面を見せている。
 美濃歌舞伎博物館・相生座館長小栗幸江さん(65)の父親が生前、愛知県犬山市にあったものを約30年前に引き取り長年保管していたが、2012年にのぞきからくりの史料だと分かり、今回の指定につながった。小栗さんは「いずれ屋台を復活させて、口上師も育てて、忠臣蔵を上演したい」と話した。

2014年01月28日


http://tononews.blog.fc2.com/blog-entry-1683.html
「のぞきからくり」とは、江戸時代後期に始まり、大正時代から昭和の初期にかけて、一般大衆に親しまれた、娯楽の1つ。
しかし、活動写真(映画)の登場により、廃れたという。

のぞきからくりを、上演するための「屋台」が、現存しているのは、新潟県新潟市、大阪府豊中市、広島県三原市、福岡県北九州市のみ。

瑞浪市には、「屋台」は残っていないが、「忠臣蔵」の看板絵が4枚と、中ネタ(なかねた)の絵が6枚あり、1幕分が、セットとして残っている。

姫路市の工芸家、故・宮澤由雄さんが、「押絵」の技法で、制作したもので、
昭和初期の娯楽を知る、貴重な民俗資料。

看板絵・中ネタとも、“ふすま1枚”ほどの大きさがあり、客が、屋台の「のぞき穴」から見ると、中ネタが立体的に見える、仕組みになっている。
中ネタを変えたり、語りを務めたりする、「弁士」が必要。
中ネタ

2013年8月24日土曜日

チンドン楽隊による宣伝 昭和ロマンを楽しむ会

チンドン屋の楽隊として昭和ロマンを楽しむ会はパレードしたりイベントの呼び込みを行うこともある。もちろん旗持ち、ビラ配りもする。

曲は美しき天然のほか、にぎやかな蒲田行進曲、東京ラプソディ、お富さん、銀座カンカン娘などを演奏する。メロディはバイオリンでリズムはチンドンとウクレレである。クラリネットやサックスと合奏することもある。

大蒲田祭 2013









昭和ロマンを楽しむ会 書生節 バイオリン演歌 大正演歌 昭和演歌師 平成演歌師 昭和歌謡 チンドン ちんどん ウクレレ 

2013年8月9日金曜日

縁日ののぞきからくりや演歌師 湯川秀樹自伝(子供時代)より

湯川秀樹(明治40年生まれ)

湯川秀樹が子ども時代にどんな遊びを楽しんだか書かれている。その中にのぞきからくりや演歌師(艶歌師)も出てくる。


湯川秀樹『旅人・湯川秀樹自伝』(角川文庫、昭35)より


  兄がよくかぶと虫を採って来てくれた。先がふたまたに分かれた一本の角を持っているかぶと虫を、私たちは「カブト」と呼んだ。かまのような二本の角を持つくわがたを「源氏」と呼んだ。何もないのは「坊主」である。兄が捕らえてきた虫を、私は木箱に入れて砂糖水で飼った。時々、箱から出して相撲をとらせたり、紙で作ってきた車をひかせたりした。木箱のふたには小さな穴をいくつもあけて、風通しをよくした。夜の間に逃げ出さないように、箱の上に石を置いた。(中略)
  
出町から今出川の通りにかけて、月に二回、十四日と二十二日に縁日が出た。露店に燃えるアセチレンのにおいは、今でもあざやかによみがえってくる。
  
 家の二すじ南には、荒神様のお社があった。ここの縁日にも露店はたくさん出た。いや、露店だけではない。のぞきからくりは、不思議に子供の夢をさそった。料金は二銭だったと思う。口上の文句は忘れたが、小さな窓からのぞくと、極彩色の絵が見える。いまで言えば、紙芝居に当たるものであろうが、それよりずっと情趣があったように思えるのは、古い時代のものであるからかもしれない。説明者は、棒をたたいて拍子をとりながら、声色を使う。内容は子供の私にはよく分からず、興味もなかった。しかし、からくりの持つふんいきには、魅力があった。
  
 からくりの隣りでは、艶歌師が流行歌をうたっていた。金魚屋も店を出した。ほうずき、べっこうあめ、うつしえ。夏ならば、とうもろこしを焼きながら売っている店もあった。露店といえば家庭の日用品や、安呉服なども売っていたはずだが、目に浮かぶのは、子供の私に魅力のある店屋ばかりである。べいごまを京都の子供たちはパイと呼んでいた。みかん箱やバケツの上に小さなござをくぼませて、そこへ叩きつけるように径二センチぼどの鉄のこまをまわすのである。こまは時々ふれあったて火花を散らした。一方はござの外まではねとばされることもある。
  
「メンコ」という遊びもあった。丸い厚紙には、たいてい、軍人や役者の似顔絵がはりつけられていた。地面に置かれた一枚に向かって、一人の子が自分のメンコを力いっぱいたたきつける。相手のメンコを裏返しにすれば、勝負はつくのである。
 
 「カナメン」というのもあった。小さな鉛の薄板である。飛行機や、飛行船などの形をしていた。地面に置かれたカナメンの真上から、静かに自分の一枚を落とすのである。うまくあたると、置かれていたカナメンはひるがえって裏を見せる。私は何十枚というカナメンを、重そうに兵児帯の中に巻き込んである男の子を見て、その子の「自由」がうらやましかった。

2013年7月18日木曜日

のぞきからくり 「ロス疑惑 疑惑の銃弾」 三浦和義物語

 悲劇の夫かはたまた完全犯罪か

のぞきからくり 「ロス疑惑 疑惑の銃弾」 「三浦和義物語」 ロックバージョン(2000年版):昭和ロマンを楽しむ会



1981年に三浦和義の当時の妻(三浦一美)がカリフォルニア州ロサンゼルスで何者かに銃撃されて意識不明の重態となる事件が発生し、自らも足を撃たれて負傷した。当初マスコミは「悲劇の夫」として三浦を扱った。1982年11月に、妻が死亡したことで、この事件の報道は収束した。
しかし、1984年に『週刊文春』をはじめとするマスコミにより「保険金目当ての殺人」であるとの報道がなされた。

経緯
1981年8月31日、輸入雑貨商を営む三浦和義が妻(和美)とロサンゼルス旅行中、宿泊していたリトル東京のホテルの部屋で妻が一人になったとき、アジア系の女性によって頭部を鈍器で殴打され妻は軽症を負う(殴打事件)。
同年11月18日午前11時5分頃(現地時間)、三浦夫妻はロサンゼルス市内の駐車場で2人組の男に銃撃され、妻は頭を撃たれて意識不明の重体。夫の三浦も足を撃たれ負傷した(銃撃事件)。

1982年1月、三浦は「悲劇の夫」として日本のマスコミに登場した。妻は日本に移送され大学病院に入院したが意識が戻ることはなく11月に死亡した。三浦は、保険会社3社から計1億5500万円の保険金を受け取った。

日本での審理
東京地裁:無期懲役
東京高裁:証拠不十分で無罪
最高裁:2003年3月に無罪となり、銃撃事件の日本における三浦の無罪が確定した。

アメリカでの審理
2008年2月22日にアメリカの自治領であるサイパンにおいて三浦は、現地に出向いていたロサンゼルス市警の警官に殺人容疑で逮捕された。2008年10月10日にサイパンからロサンゼルス市警に身柄が移送された。しかし、同日にロサンゼルス市警内の留置所にて三浦が首を吊っているのが発見され、病院に搬送されたが死亡が確認された。

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のぞきからくり 不如帰(ホトトギス) 実演

昭和の初期まで縁日などで親しまれた大道芸「のぞきからくり」、のぞき穴をのぞくと押絵と凸レンズが作り出す立体的な世界が広がっている。「のぞきからくり」は、映画やテレビの普及によって完全に消えてしまい現在は博物館でしか見ることができない。

のぞきからくり「不如帰」(ホトトギス)実演:昭和ロマンを楽しむ会
「不如帰」は徳冨蘆花(とくとみろか)の不朽の名作で1898年(明治31)から1899年まで「国民新聞」に連載された。明治時代のベストセラー小説。

「人間はなぜ死ぬのでしょう 死んでも私はあなたの妻ですわ、未来の後までも」
「八千八声 ないて血を吐くほととぎす」

落語の「天王寺詣り」に天王寺の境内でやっているぞのきからくり「不如帰」の口上が入っている。同じ不如帰でも各地によってさまざまな文句とからくり節があった。

あらすじ:片岡陸軍中将の娘浪子(なみこ)は、海軍少尉川島武男(たけお)と結婚したが、結核にかかり、家系の断絶を恐れる姑によって武男の留守中に離縁される。二人の愛情はとだえなかったが、救われるすべのないまま、浪子は、もう女になんぞ生まれはしないと嘆いて死ぬ。

映画「長屋紳士録」(1947)で笠智衆が歌った「不如帰」(ほととぎす)の口上(からくり節)

三府の一の東京で(ああどっこい)/波に漂うますらおが/はかなき恋ににさまよいし/父は陸軍中将で/片岡子爵の長女にて(ああどっこい/桜の花の開きかけ/人もうらやむ器量よし/その名も片岡浪子嬢/(ああちょいと)海軍中尉男爵の/川島武男の妻となる/新婚旅行をいたされて/伊香保の山にワラビ狩り(ああどっこい)/遊びつかれてもろともに/我が家をさして帰らるる/(ああちょいと)武男は軍籍あるゆえに/やがて征くべき時は来ぬ/逗子をさしてぞ急がるる/浜辺の波のおだやかで(ああどっこい)/武男がボートに移るとき/浪子は白いハンカチを(ああどっこい)/打ち振りながら/「ねえ、あなた早く帰って頂戴」と/仰げば松にかかりたる/片割れ月の影さびし/実にまあ哀れな不如帰」 

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